カワセミのつぶやき
 
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2006年3月27日を表示

なんかヘンな方向に向かっているような

06年03月27日 月曜日
WBCで日本代表チームが優勝してからまもなく一週間がたとうとしている。
はじめのうちはすなおにこの優勝を喜んでいたワタクシであるが、段々と論調が変わってくるのを感じて、ちょっと薄気味悪くなるこのごろである。

ワタクシはライオンズファンであり、パシフィックリーグファンであり、プロ野球ファンである。その延長にプロ野球選抜の代表チームがある。
同じようなチームがいくつも集まり、世界最高峰のパフォーマンスを見せて「リアル・ワールドチャンピオン(ワールドシリーズは世界チャンピオン決定戦ではありませんよということ)」を決定するシリーズとなるので開催発表のあったときから、首を長くして本番の来るのを待っていたものである。

二次リーグで負け越して決勝トーナメント進出がほぼ絶望となったときには、ものすごく悔しい思いをしたものだが、翌日には気を取り直して勝ち進んできた各国チームの試合を楽しみにしたものである。
いろいろとあって日本が決勝トーナメントに進むことになったときは素直に喜び、大切なマラソン大会のときもラジオを聴きながら走っていたほどである。また、決勝戦はライオンズと読売のオープン戦であるにもかかわらず、ラジオを聴いたり、ときどきテレビを見に行ったりしてしていた。

さて、「日本中の期待を担って」イチローや宮本をはじめとする王ジャパンは見事に世界チャンピオンとなった。
一両日は日本シリーズで応援するチームが優勝したときのようなすなおな喜びで満ち溢れていて、たいへんに好感を持ってこの状況を受け入れていた。
ところが、週末近くになり、冷静な分析をマスコミがするようになり、その論調がいかがわしいものとなってくる。おそらくはコアなプロ野球ファンでない国民の多くが、このマスコミと同じような気持ちでWBCを見ていたのだろう。

「ナショナリズムの発露」

荒川静香選手がフィギアスケートで優勝したとき(ワタクシは金メダルを獲得したと言う表現は大嫌いである。あんなものはただ単なる記念品に過ぎない。人並みはずれた努力をした結果、世界一になることができたと言うことがえらいのである。本当の感動は本人しかわからないことであり、マスコミはじめ他人がとやかく言うべきことではない)、日本中が
「トリノではメダルがひとつもない」ために、最後の最後に本命が出てきて期待通りの結果を出したので、狂喜乱舞したこととよーく似ている。
「メダルがひとつもない」のは、上位になった選手に比べて日本選手の練習が足りなかったことと、協会などの組織が強化策を怠っていたことにつきるので、それ以上でも以下でもない。
荒川選手のライバルである、ロシアやアメリカの選手が滑って転ばないかと願っていた日本人はたいへんに多いようで、最高のパフォーマンスを競って欲しいと思うワタクシとしては嘆かわしいことこの上ない。その期待通りに、ライバル選手たちはミスをして、結果として荒川選手は優勝した。荒川選手は自身として生涯最高の得点を得ているのであり、それにけちをつけるつもりは毛頭無い。スルツカヤが僅差で競って、それに競り勝ったのだったら、荒川選手としてももっと喜びが大きかったことだと思う。

「なんでもいいから日本人選手が優勝して欲しい」
「外国人ばかりの大相撲は面白くない」
「高校野球は自分の出身県の学校が優勝しないものかな」

ちょっと待ってくれ。相対的な敵を作り、それを攻撃することは面白いかい?
スポーツの国際試合では日本人のアイデンティティーを感じるって?

ナショナリズムの大好きな皆さんや、それってあなたたちの大嫌いである、大韓民国と国民にそっくりではありませんかね?
それとも壮大なギミックなのかしら。

WBCでワタクシが一番いい試合だったと評価するのは、二次リーグの日本対韓国戦である。
終盤まで緊張した投手戦が好守備を背景にして続いた試合である。結果として日本は韓国に敗れたのであるが、準決勝戦の後半以降の壊れたような試合よりも数等内容がすばらしい。また、このようないい内容の試合をしているからこそ、準決勝で再び合い間見えたときも、終盤に韓国投手陣崩壊から試合が壊れるまで、スーパープレー続出のすばらしいゲームをすることができたと確信するのである。



3月27日(月)15:45 | コメント(1) | ダイアリー 06年 | 管理


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