| 日本山岳耐久レース |
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| 奥多摩の尾根71.5キロを制限時間24時間で天狗のごとく駆け抜けるレースにLSと初参加してきた。 二年ほどままでは「鉄人、超人の出るもの」とさえ思っていた大会であったが、昨今のマラソンブーム、トレイルマラソンブームの頂点にあるような大会のため、申し込み受付開始ふつかで定員に達するという人気であった。 「トレイルマラソン」と書いたが、主催が東京都山岳連盟であり、あくまでも耐久登山の位置づけであり、例年登山靴に本格ザックのひとも参加するという(今回確認することはできなかった)
過酷な大会であるが、練習と下見を重ねるうちに 「なんとか時間内完走はできる」と確信する。
綿密な計画をたて、一週間前からはワタクシにとって一番きついシバリである禁酒に入る。 睡眠で疲労がよく取れて正解だったようだ。
無風、晴天とこれ以上は無い気象条件に恵まれ、計画とおりにレースを進めることができたし、休憩も15分以内でとめていたので、防寒着をきなくとも、からだの冷えることもなかった。 深夜は登山道の脇で死屍累々の如く、そこいらじゅうで睡眠をとっている人が多く見られたが、年よりは目的があれば徹夜も苦にならない。
「22時間で帰ってこられるだろう」と思っていたが、走っているうちに「20時間前後でもいけるかな」となってきた。 途中、休憩も増えたが、最後に来て二時間しっかりと走って下山することができたこともあり 20時間29分でフィニッシュ。 あさの9時半であるが、ゴール地点に応援に来てくれた友人の持ってきてくれた缶ビールを飲んだが、一週間ぶりのアルコールは、感極まったからだ中に染み渡るのであった。
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10月13日(月)20:00 | コメント(0) | ダイアリー 08年 | 管理
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| 日本山岳耐久レース 大会当日まで |
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| この大会の存在はかなり以前から知っていた。 「世の中にはすごいことをする人たちがいるものだな」と思っていた。 02年の秋、当時まだ小学校低学年だった坊主を連れて大岳山に登りに行った。 体育の日であったが、登山道のところどころに「日本山岳耐久レース」のコース案内板が有った。 「ああ、あの大会はこんな日に開かれているのか」と思った。 鋸山から氷川の町に下山をしたのだが、スキーで滑り降りるようにストックを二本巧みに用いてバランスを取り、ものすごい速さで天狗のように下山していく人がいた。 大会とは別に、トレイルランニングをしていたのだろう。当時の自分はまだトレイルランニングという言葉さえ知らなかった。 それから半年もしないうちにランニングを始めたということになるんだな。 理屈は後付けでどうにでもつけることができるが、今になって思えば、伏線が張ってあったのかもしれないなという気にもなる。
さて、06年ぐらいになるとそれなりに走ることが出来るようになってきて、「来年は日本山岳耐久に出ることができるかもしれない」と思うようになってきた。 ちょくちょく拝見しているE嬢のHPに、彼女が大会に初出場し、完走をしたということが書かれていた。 うーむ。いよいよ現実的になってきたな。
翌年の07年、春のフルマラソンの大会に出たら、「北丹沢12時間山岳耐久レース」の申込書が置いてあった。これにエントリー。 日本山岳耐久は北丹沢の結果いかんで行なうことにしよう。 北丹沢は相方のLSは見事に完走したが、ワタクシは途中のチェックポイントの制限時刻に間に合わずに失格となってしまった。 日本山岳耐久は北丹沢の大会の前にすでに募集人員に達してしまい、応募締め切りになっていた。 もしエントリーできて参加していても、当時のワタクシのチカラでは完走は難しかったかもしれない。
今年は昨年よりもエントリーに殺到するだろうと言う予測があった。 申し込み受付け開始がネットでは土曜日から日曜日にかわる深夜0時。 ワタクシはどうにも眠くなって寝てしまったが、朝5時に起きてPCをたたき、申し込みを受け付けてもらうことができた。 LSは0時をまわったらすぐに申し込みをしたという。 翌日の月曜日の午後には「もう、定員に達し、受付けを締め切ったらしい」という情報が流れ始める。 こりゃ、すぐに現金を振り込んでエントリー完了にしたほうがいいや、ということでコンビニ決裁を済ませて完了。 かなりの人数が、涙を飲んだようだ。
LSはこの直前にサロマウルトラマラソンに出たり、7月下旬には富士登山競争に出るために、その下見を重ねたりと、なかなかハセツネまで頭が回らないようだが、ワタクシは一般のマラソン大会以外はハセツネ一本である。 頭の中はしばらくハセツネでいっぱいになり、地図を眺めては「ここの尾根を登るには・・・」のようなイメージトレーニングを重ねるのであった。 もちろん、ネットなどで情報を収集し、装備もそろえていく。
本番では、深夜の真っ暗闇の山中を歩くことにもなるので、その時刻にあわせての山行も計画した。 遅く奥多摩駅に着く青梅線に乗って行き、奥多摩駅から小河内ダムまで歩く。 ダムを渡り、向かいの園地を深夜1時に出発し、縦走路(ハセツネのコース)に取り付く。 取り付くところは御前山直下の惣岳山であった。 これからずっとフィニッシュの五日市の町までコースを歩く。 8月はじめの一年で一番暑いときで、夜間登山でもかなりの汗をかく。ただ、夜明けが本番よりも早く、すぐに明るくなるのが助かる。 しかし、夜が明けるのが早いと気温が上昇しだすのも早い。 金毘羅尾根を下るときなど、かなりしんどかった。思ったよりも時間もかかったし、水分を消費する量も多かった。
この翌週にはバスで笛吹集落まで行き、笹尾根の小棡峠に取り付く。 御前山までいきたかったが、三頭山の手前から天気が崩れだし、三頭山避難小屋で食事休憩をしていたら雨が落ちてきた。 だんだん雷雨が激しくなり、風張峠までいったところで奥多摩湖に下る。 初めて通る道で、これはこれで面白かったが、雷が激しくて、かなり恐怖感があった。
大会の前々週には、LSと最終調整と称して、スタート地点から行けるところまで行ってみようと言うことになった。 この週は仕事であさが早いことが多く(4時起床)、夜は夜でパシフィックリーグの優勝が決まると言う試合が連日続いたために、これを追っかけなくてはならず、睡眠不足と、不規則な食事でスタミナは底であった。 下見の前日も西武Dのパブリックビューイングを見に行っていて、優勝のシーンを(優勝を争っていた相手が敗れたための優勝であった)見てきて帰宅は遅かった。
巻き道の無く、小さなピークをいくつも拾っていく登りに嫌気を差しながらも、笹尾根を笛吹峠まで進むことができた。 これで、だいたい全コースを歩きとおしたことになる。風張峠~御前山は以前に歩いたこともあるのだ。
LSは大会前週に当たる、この翌週に笛吹峠から御前山まで歩いたということである。 彼も全コースを踏破したわけだ。
自分はこの大会前週には走って都心まで行き、登山用具店で不足したものを購入してくる。 装備も整い、あとは一週間後の当日を迎えるばかり。 日曜日の晩を最後に大好きな晩酌も一時休止。一週間の禁酒の行に入るのであった。 週間天気予報を見れば大会当日の天気も良好のようで、きちんと準備をしていれば神様も見放すことの無いものだなと思うのであった。
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10月12日(日)23:01 | コメント(0) | ダイアリー 08年 | 管理
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