| 05.04.03 長女の高校入学式 |
|
|
深夜に仙台をたったが、途中運転手も那須高原で仮眠休憩を取っていたようだ。五時過ぎに入間に着き、LS、PLと下ろして、東京清瀬に帰り着いたのは6時。もう、未明早朝という時間ではなく、生活時間になっている。仙台の寒さにからだが慣れかけていたのか、早い時刻でも暖かく感ずる。
部屋に入り、一時間ほど横になってからだを休めたのち、朝食。 すでに坊主は起きて野球のコスチュームに着替えている。少年野球の日であるが、先発投手をするようだ。 スーツにネクタイと年に何度もしない格好となり、妻・長女と巣鴨に向かう。 たいへんに明るくよく晴れた日で、絶好の入学式日和である。 まだ新しい立派な建物で、さすがに三流とはいえ私立は違うものだと思う。 オーナーでもある学校長の79歳のおばちゃんの話を聞くと、かなり保守的な女子高のようで、奥さんは「厳しいところに入ってよかった。」といっているが、ワタクシなら絶対に入らないだろうなと思う。 まあ、ゆるく育てられ、人生なめたところのある長女なので、しつけや課題の厳しいところでもまれたほうがいいのだろう。 後援会長もかたぎとは思えないような方であったが、千数百万の予算の三分の一ほどがサッカー部の支援に使われるような予算表を見て驚いた。なでしこジャパンの選手もこの学校から出ているようだ。
それにしても学校長の話によると、学校法人の元となった専門学校は来期で廃校となり、もう土地建物も売却してしまったという。その売り上げ金でこの高校短大の施設を作ったという話であるが、名門の専門学校すら少子化の波に勝つことはできないようで、学校長の話を聞いていて唯一「じーん」としたところであった。 高校のロビーに行くと創設者で現学校長の父親に当たる方の胸像があった(こういったものを見るとハナ肇を思い出してしまう)。専門学校の廃校を知って、あの世の方はどう思っていることだろう。 現学校長がなくなったら、この高校もなくなってしまうんじゃないだろうかとすら思えてくるのであった。
おもてに出て周囲を歩いてみる。 ウラには大きなマンションやオフィスビル、ショッピングモールのあるまちができている。都心の住宅街にこんなものがあるんだ。 街路樹のサクラの木は淡いピンクの花をちらほらほころばせていた。昨日仙台にいたままのズボン下を履いてきたのでたいへんに暑い。
その後、地蔵通り商店街に行き、町を見て食事。 「おばあちゃんの原宿」といわれるだけあり、タレントショップもあったりして竹下通り(ここ20年いったことはない)のような雰囲気をかもし出している。浅草仲見世とはことなる賑わいである。ちなみにワタクシは浅草は大好きである。 食後、高岩寺にいく。ここは「とげぬき地蔵」で有名である。お地蔵さんには大行列ができていた。 ワタクシは御本尊に手を合わせ「弟のカブレラ地蔵が本塁打を打てますように」ととんでもないことを賽銭もいれずにお願いしてきた。 その直後に試合の始まったところの仙台のBTに電話を入れる。 こちらが刺抜き地蔵の話を切り出す前に先方が 「カブレラが場外本塁打をかましましたよ」 お願いというものはかなうものだなと、このお寺のありがたさを思うのであった。今度はお賽銭をちゃんと入れて拝もう。つうか、長女はこれから毎日ここに来るのだから、代参を頼んでもいいな。
早く帰って横になり、野球を聞きたいのであるが、百貨店に寄ったりしてなかなか帰してくれない。 三時過ぎに帰宅してラジオを聞いているうちに寝てしまうが、なぜか無死二三塁のピンチを切り抜けたときと、ゲームセットのときは目が覚めて聞いていた。次に目が覚めたら「サザエさん」をやっているときであった。朝、貴重品だけもって部屋に戻ってきたので、クルマの中はぐちゃぐちゃ。これを片付ける。 遠征でからだがまいっているので、夕食はサラダにごはん味噌汁ぐらいの食事がいいのだが、入学祝で寿司やら揚げ物やらご馳走が並ぶ。缶ビールを飲みながらちょっとつまんだぐらいである。その分、投手をして腹をすかせた坊主がたくさん食べてくれた。 坊主の風呂上りには肩と腕をマッサージしてやった。ワタクシのマッサージ術は免許こそ持っていないものの、アマチュア離れしていると自負している。
| |
|

| |
|
4月4日(月)17:30 | ダイアリー05年04月 | 管理
|
| この記事へのコメント投稿はできない設定になっています |